新潟県埋蔵文化財センター

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開館時間 9:00 ~ 17:00   休館日 12月29日~1月3日

展示案内

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1  県内出土品(旧石器~江戸時代)

<旧石器~縄文時代の出土品> <弥生~古代の出土品> <中世~近世の出土品>
<縄文時代の呪い(まじない)の道具(土偶)> <弥生時代の玉作の道具> <奈良時代の律令祭祀>

このコーナーには、新潟県埋蔵文化財調査事業団が新潟県内で発掘調査した遺跡の主な出土品を展示しています。旧石器時代から江戸時代までの土器や石器を時代別に概観することができます。

特に土器は、時代・時期ごとに特色あるものを展示し、器の形や色・用途などについて一目でその変遷を知ることができるようになっています。また、壁には時代ごとに解説パネルが掲示してあるので、初めて来館された方でも各時代の特徴を学んでいただくことができます。

さらに、その手前の展示ケースには、それぞれの時代を特徴づけるさまざまな道具や装飾品の数々を、用途ごとにまとめて展示しています。ぜひ、それぞれの時代に生きた人々の生活の息吹を感じ取ってみてください。

~展示品の出土遺跡~

旧石器時代 円山(まるやま)遺跡〈阿賀野市〉、上ノ平(うえのたいら)遺跡C地点〈阿賀町〉、 荒屋(あらや)遺跡〈長岡市〉、蛇谷(へびたに)遺跡〈上越市〉、大堀(おおほり)遺跡〈妙高市〉、大角地(おがくち)遺跡〈糸魚川市〉
縄文時代 草創期 百塚西C(ひゃくづかにししー)遺跡〈小千谷市〉、金塚(かなづか)遺跡〈小千谷市〉
早期 岩原Ⅰ(いわっぱらいち)遺跡〈湯沢町〉、関川谷内(せきかわやち)遺跡〈妙高市〉、大堀遺跡〈妙高市〉
前期 北野(きたの)遺跡〈阿賀町〉、大武(だいぶ)遺跡〈長岡市〉
中期 大坂上道(おおさかうえみち)遺跡〈阿賀町〉、北野(きたの)遺跡〈阿賀町〉、町上(まちがみ)遺跡〈魚沼市〉、五丁歩(ごちょうぶ)遺跡〈南魚沼市〉、清水上(しみずのうえ)遺跡〈魚沼市〉、川久保(かわくぼ)遺跡〈湯沢町〉、六反田南(ろくたんだみなみ)遺跡〈糸魚川市〉
後期 長割(ながわり)遺跡〈村上市〉、江添(えぞえ)遺跡〈胎内市〉、城之腰(じょうのこし)遺跡〈小千谷市〉、北野(きたの)遺跡〈阿賀町〉、中ノ沢(なかのさわ)遺跡〈妙高市〉、現明嶽(げんみょうだけ)遺跡〈阿賀町〉
晩期 野地(やち)遺跡〈胎内市〉、昼塚(ひるづか)遺跡〈胎内市〉、青田(あおた)遺跡〈新発田市〉、江添(えぞえ)遺跡〈胎内市〉
弥生時代 前期 山口(やまぐち)遺跡〈阿賀野市〉
中期 道端(みちばた)遺跡〈村上市〉、大武(だいぶ)遺跡〈長岡市〉、箕輪(みのわ)遺跡〈柏崎市〉
後期 小野沢西(おのざわにし)遺跡〈妙高市〉、下馬場(しもばば)遺跡〈上越市〉
古墳時代 前期 野中土手付(のなかどてつき)〈新発田市〉、奈良崎(ならさき)遺跡〈長岡市〉、姥ケ入南(うばがいりみなみ)遺跡〈長岡市〉、下割(しもわり)遺跡〈上越市〉、大洞原C(だいどうはらしー)遺跡〈妙高市〉、横マクリ(よこまくり)遺跡〈糸魚川市〉、南押上(みなみおしあげ)遺跡〈糸魚川市〉、竹花(たけはな)遺跡〈糸魚川市〉
中期 道端(みちばた)遺跡〈村上市〉、北沖東(きたおきひがし)遺跡〈南魚沼市〉、黒田古墳群(くろだこふんぐん)〈上越市〉、小野沢(おのざわにし)遺跡〈妙高市〉、南押上(みなみおしあげ)遺跡〈糸魚川市〉
後期 黒田古墳群(くろだこふんぐん)〈上越市〉、六反田南(ろくたんだみなみ)遺跡〈糸魚川市〉
古代 飛鳥~奈良 山三賀Ⅱ(やまさんがに)遺跡〈聖籠町〉、今池(いまいけ)遺跡〈上越市〉、下新町(しもしんまち)遺跡(上越市)、延命寺(えんめいじ)遺跡〈上越市〉、荒町南新田(あらまちみなみしんでん)遺跡〈上越市〉、栗原(くりはら)遺跡〈妙高市〉
平安 西部(せいぶ)遺跡〈村上市〉、野中土手付(のなかどてつき)遺跡〈新発田市〉、山三賀Ⅱ(やまさんがに)遺跡〈聖籠町〉、箕輪(みのわ)遺跡〈柏崎市〉、木崎山(きざきやま)遺跡〈上越市〉、五反田(ごたんだ)遺跡〈上越市〉、栗原(くりはら)遺跡〈妙高市〉、関川谷内(せきかわやち)遺跡〈妙高市〉、角地田(かくちだ)遺跡〈糸魚川市〉
中世 鎌倉~戦国 住吉(すみよし)遺跡〈新発田市〉、堀越館跡(ほりこしやかたあと)〈阿賀野市〉、寺前(てらまえ)遺跡〈出雲崎町〉、西田・鶴巻田(にしだ・つるまきだ)遺跡群〈柏崎市〉、今池(いまいけ)遺跡〈上越市〉、木崎山遺跡〈上越市〉
近世 江戸 鍋屋町(なべやまち)遺跡(上越市)

2 縄文人のくらし 黒曜石の産地と流通

〈黒曜石製石器〉

石鏃(せきぞく)や石錐(いしきり)・不定形石器など鋭い切り口が必要な石器には、黒曜石が好んで使われました。黒曜石は、溶岩(ようがん)が地表近くで急激に冷えて出来た天然ガラスなので、産地は火山の近くに限られています。現在、日本では70か所あまりの産地が確認されています。新潟県内でも佐渡市や新発田市に産地があります。各産地の黒曜石は元素比率にわずかな違いがあり、これを調べることで遺跡から出土した黒曜石の産地を推定することが出来ます。新潟県の縄文時代の遺跡からは地元に限らず、長野県や、遠く北海道・九州が産地と推定される石器が出土します。

黒曜石はすばらしい切れ味の得られる貴重な石として、その産地は代々受け継がれ広く流通していたようです。

3 縄文人のくらし 木材の加工技術

〈弓・石斧の柄など〉

木材は、縄文人にとって思い描いた形に加工できる大変身近なものでした。石斧で木を切り倒し、枝を取り除き、ちょうど良い長さに切断し、時にはくさびで打ち割って加工しました。建物の柱や狩り用の弓など幅広い用途に利用されました。また、建築材はクリ、弓はイヌガヤのように用途に適した樹種が選ばれました

4 縄文人のくらし 縄文時代のアクセサリー

〈耳飾り・太珠など〉

縄文人は、髪飾り、耳飾り、首飾り、腕輪など、様々なアクセサリー(装身具)を身に着けていたことが、出土品と土偶の表現から想像できます。それぞれの種類で素材は異なり、木でできた髪飾りや貝などでできた腕輪は、土の中で腐るため残ることはまれです。一方、石や粘土で作られた耳飾りや首飾りはしばしば遺跡から出土します。特に、糸魚川地域では耳飾りや首飾りの素材となるヒスイや滑石(かっせき)を産出することから、石製装身具が大量生産され、遠く離れた地まで流通したことが分かっています。特にヒスイ製品は、北は北海道から南は鹿児島県まで流通することが明らかになっています。

5 縄文人のくらし 高度な漆工芸技術

〈赤漆塗り糸玉・竪櫛など〉

新潟県内では、縄文時代後~晩期になると、縄文時代の中でも最も漆工芸が華やかな時期を迎えます。胎内市野地遺跡(後期中葉~晩期前葉)や新発田市青田遺跡(晩期終末)の集落からは、竪櫛(たてぐし)、腕輪(うでわ)、飾り弓(かざりゆみ)など様々な漆製品が出土しており、いずれも高度な漆工芸技術の存在がうかがえます。

6 縄文人のくらし 縄文人の食料

〈木の実の殻・獣骨・魚骨〉

縄文人は植物を採取し、動物や魚をとり食料にしました。食料とした木の実の殻や動物や魚の骨などが発見されることがあります。

クリ・トチなどの木の実やイノシシやサケなど食べ物の一部が分かります。  

サケ科の魚の歯は焼けたために消滅せずに現代まで残りました。

7 縄文人のくらし 編物敷土坑

〈編物敷土坑〉

野地遺跡は、胎内川右岸に位置する縄文時代後期中葉~晩期中葉(今から3,500~3,000年前)の集落遺跡です。「編物敷土坑」は、平成22 年に実施した確認調査で検出されました。

土坑は地表から深さ約2.6mの砂層から発見されました。当初はクルミ殻の集積と考えていましたが、クルミを少し剥がすと編物が見えてきました。現地では十分な調査が難しいことから周囲の土ごと切り取って持ち帰り、新潟県埋蔵文化財センターにてクリーニングと詳細な観察を行ったところ、クルミの下からクリなどの堅果類、土器の破片、木製品(加工された板など)、昆虫の羽、淡水産の貝などが層をなして出土しました。土坑は長さ1.2m×幅0.8m×深さ0.15mの楕円形で底部が膨らみ、上がややすぼまる袋のような形をしており、底面から壁にかけて多量のクルミ(オニグルミ)が詰まった状態で検出されました。その後、土坑本来の用途は不明ですが、堅果類や貝が中身を取り出した後の殻であったことから、本来の機能を失った後、ゴミ捨て場として再利用されたことが分かりました。

8・9 縄文人のくらし 縄文人のすまい

〈柱根と石囲炉〉

竪穴建物(たてあなたてもの)は地面を掘り下げて床をつくるものです。県内では早期に現れ、前期には平面形が四角いものが流行します。また、前期には床の高さが地面と同じか、地面より高い掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)が出現します。中期になると、屋根に土を葺(ふ)いたものや、卵形・長方形のものなど種類が増加します。また、石組みの炉の中に土器を埋め込んだ複式炉(ふくしきろ)が発達します。

後期になると、床が地面と同じ高さで、周囲に柱がめぐる壁立式(かべだちしき)の平地建物(へいちたてもの)が現れます。また、棟持柱(むなもちばしら)を持つ掘立柱建物が数多く見つかります。晩期の新発田市青田遺跡では六角形に太い柱を配し、これに細い柱を2~3本加えた掘立柱建物が見つかり、屋根に段差を設けた上屋(うわや)を復元できます。縄文時代の建物は、住居や倉庫など様々な目的で利用され使い分けられていたのでしょう。

10 【県指定】余川中道遺跡

〈余川中道遺跡の須恵器・土師器・石製模造品・勾玉・鉄製品〉

余川中道遺跡は、魚野川(うおのがわ)左岸にある古墳時代前期から後期の集落遺跡です。低地には水田や石製模造品を用いた祭祀(さいし)跡があり、丘陵側には1棟の住居跡が見つかりました。遺跡付近には、飯綱山(いづなやま)古墳群と蟻子山(ありごやま)古墳群が位置しています。古墳を造った人々の水田(生産)・集落(居住地)・古墳(墓)をセットで確認できる、県内でも数少ない遺跡です。当県においては古墳時代前期では越後平野・頸城平野などの平野に面した丘陵上に古墳が築造されましたが、中期に入ると越後平野の古墳築造が低調になり、飯綱山古墳群に代表される魚沼地域で築造か活発になりました。古墳の分布は畿内政権の東国掌握が海岸平野部から内陸部へ変化したことが背景にあると考えられます。そのような中で成立した余川中道遺跡は古墳時代中期における石製模造品を用いた集落祭祀が県内で最も顕著に認められることも評価され、石製模造品をはじめとする出土品255点が平成26年度に新潟県指定有形文化財となりました。

11【県指定】滝寺窯跡群・大貫窯跡群

〈滝寺窯跡群・大貫窯跡群の須恵器〉

滝寺窯跡群・大貫窯跡群は高田平野の西端に接する西頸城丘陵(にしくびききゅうりょう)の沢の中に位置します。両窯跡群は尾根をはさみ直線で300mの近接した場所にあります。発掘調査により滝寺窯跡群から8基、大貫窯跡群から3基、合計11基の窯跡や窯に伴う灰原が検出されました。8~9世紀半ばにかけて創業した窯跡群で、須恵器・土師器・焼台などが出土しました。

両窯跡群の出土品は古代越後の政治的中心地である上越地域の生産遺跡の様子を明らかにし、上越の地域性を理解するうえで貴重な資料であることから、平成22年度に1,012点が新潟県指定有形文化財となりました。

12 東原町遺跡

<埋納銭と納められていた壺>

東原町(ひがしはらまち)遺跡は国道8号柏崎バイパスの建設に伴い、平成15~16年に発掘調査を行いました。その結果、近世、中世、古代の遺跡であることがわかりました。

そのうち中世の遺構からは、10,674枚もの銭が珠洲焼(すずやき)の壺に納められ、土の中に埋められた状態で見つかりました。銭の大半は中国製で、紐を通して約97枚を一束としてまとめられていました。その数は33本にのぼります。大量の銭を壺や甕などに納めて埋める風習は、中世後半に多く見られます。その理由は、財産として蓄える(備蓄銭とする)ためとか、その土地の神仏に捧げるためとかいわれています。東原町遺跡の埋納銭は、誰が、何のために埋めたのかは謎のままです。

13 縄文土器

<五丁歩遺跡の縄文土器>

五丁歩遺跡の土器には、長野県や群馬県の土器と類似した文様(もんよう)が多く認められ、上信地方との活発な交流があったことを示しています。一方で同時期の県内で一般的な火炎(かえん)土器の出土はありません。また、東北・北陸系の土器の割合も少なく独特の文様を持つ土器が多いため、当時の人々は各地との交流を保ちながら、独自の文様を生み出したものと理解されます。

14 遺跡の土層断面

発掘調査した遺跡の土層を、強力接着剤を使ってはぎ取ったものです。昔の人が暮らしていた地表から現代の地表に至るまでの間に、どのくらいの厚さの土が堆積したのか知ることができます。

〈土層剥ぎ取り断面〉

15 出土品にさわってみよう!

<「出土品にさわってみよう」コーナー〉

遺跡から出土した縄文土器・石器や古代の土師器・須恵器にさわれます。重さや手触りを確かめてみましょう。

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